漁業にまったく縁がなかった女性と根っからの漁師の出会いが日本の漁業に新しい風を吹かせました。漁業にまったく縁がなかった女性と根っからの漁師の出会いが日本の漁業に新しい風を吹かせました。

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萩大島

更新日:2018/2/20

漁業にまったく縁がなかったひとりの女性と、従来からの漁業に危機感を抱いていた漁師たちが手を携えて今、日本の漁業に新しい風を吹かせようとしています。
今回のストーリーのキーパーソンは、地元の出身でもなければ、漁業関係者の家に生まれ育ったわけでもない坪内知佳(つぼうちちか)さん。そして複数の船を束ねて、巻き網漁を指揮する船団長の長岡秀洋(ながおかひでひろ)さんです。

坪内知佳(つぼうちちか)さん

長岡秀洋(ながおかひでひろ)さん

漁業にまったく縁がなかった女性と、根っからの漁師の出会い

舞台は山口県萩市の沖、日本海に浮かぶ大島。通称・萩大島と呼ばれる小さな島には、およそ700人が暮らしています。萩大島へは、萩市の港から1日4便の定期船で25分。島の南岸にある大島港に着くと、多くの漁船の後ろに広がるのは、のどかな港町の光景。日中の人通りは少なく、海鳥の鳴き声が響きます。ここは約300世帯のうち、半分以上が漁業に携わる漁師の島です。

坪内さんは萩市に住む人との結婚を機に移り住み、男の子を出産。ほどなくして離婚してしまいますが、その後も萩の街に残り、コンサルティングとして働いていました。そのときに、萩大島で巻き網漁を営んでいる長岡さんと出会ったのです。2009年の年末のことでした。当時、漁獲高が年々減少するなかで萩大島の漁業の先行きに大きな不安を感じていた長岡さんは、坪内さんにコンサルティングを依頼しました。

「最初のきっかけは、長岡から事業計画書を書いてほしいと依頼を受けたことでした。なにせ当時の彼らは、自分たちでパソコンの電源すら入れられない。『パソコンが得意なんやったら、やってくれんか』という軽い感じでしたね。それくらいならいいかと引き受けて、当初は計画書を書き終えたらそれまでと思っていました。それがなんだかんだで、気がつけばもう8年です(笑)」(坪内さん)

長岡さんの依頼を引き受けた坪内さんは、農林水産省が「六次産業化・地産地消法」に基づく認定事業申請を受け付けるという情報に着目し、事業計画書を作成しました。

6次産業化 図(出典元:農林水産省)

坪内さんが描いた事業プランは、こうです。萩大島で獲れた魚を今までどおり萩の市場に出荷するのと並行し、「鮮魚BOX」として箱詰めにし消費者に直接販売する。鮮度が高く保たれるのに加え、たとえば料理店からの「姿造りにするから、首は折らないでほしい」などの細かいリクエストに応えられることで付加価値が生まれ、小ロットや少ない品種でも利益が出せる。つまりは漁師から直接、消費者に届けることで6次産業化を果たすというものでした。

事業計画書の提出に向け、長岡さんらは任意団体「萩大島船団丸」を2010年10月に結成。その代表に、坪内さんが就きました。認定を得たのは2011年5月。中国・四国地方での、認定事業者の第1号でした。しかし、ここからすべてスムーズに事が運んだわけではありません。

新規事業に立ちはだかった仲間同士での衝突

事業を始めてほどなくして、坪内さんと長岡さんら漁師たちのあいだで衝突が起こります。男の仕事場である漁の現場に、女性が入ってくることを快く思わなかった者たちもいました。漁師が商品である魚を雑に扱っている様を坪内さんが注意すると、「魚のことはワシらのほうが知っとる、黙っとけ!」などと罵声が返ってくるのは日常茶飯事。事業に関することや些細なことでも、意見はぶつかり合います。

そんなある日、ついに我慢の限界に達した長岡さんが「この事業をやめる」と電話で告げたのです。そのときに坪内さんがとった行動に長岡さんは、『彼女の本気度を見た』と言います。

「『もうやめる』と、夜に電話したんです。そうしたら彼女は『今から話をしに行くから、船で迎えに来てくれ』と言い、本当に来たんです。冬の海に、子どもを連れてですよ。あれには驚きましたし、そこまで本気なのかと心の底から思いました」(長岡さん)

そんなことを経て、ようやく事業が軌道に乗り始めたころ。またも坪内さんと長岡さんのあいだで衝突が起こります。その揚げ句に長岡さんは、「もうワシらでできるけ、オマエはいらん。どっか行け」と口走ってしまいました。そこから話し合っても事態は進展せず、坪内さんはその場を去ります。その去り際に、長岡さんに一枚の紙が手渡されました。そこには取引先の店名や連絡先だけでなく、それぞれの料理長の好みや会話の手がかりになる話題、注意書きなどが細かく書き記されていたのです。

長岡さんらが漁に出ているあいだ、坪内さんはひとりで大阪まで出向き、飛び込みの営業を繰り返していました。朝に子どもを24時間保育に預けると、その足で大阪へ。午後から多いときで4件の営業をこなし、翌日の早朝に山口に戻ってくることを繰り返して、顧客をつかんでいたのです。

このリストを見て長岡さんは、いたく心を打たれました。

「このコには、逆らえんなぁと思いました。いっしょにやり始めた頃は正直、『なんじゃ、コイツは』とばかり思っていました。でも彼女はこの島のことや、ワシら漁師のことを本気で思ってくれちょる。そのことが、強烈に伝わったんです」(長岡さん)

「今も昔も、長岡も私もお互いに言いたいことはいっぱいありますし、そのたびに言い合うんですけど、互いにやめないし、やめられない。私も萩大島船団丸がなくなったら、彼らが困るというのが分かるからやる。だからといって私が100%歩み寄るつもりはなく、そこは50歩ずつ歩み寄りましょう、というのをずっと続けています。
でもいちばん初めから、彼らに対する情はものすごくあります。私が困っているときに魚を持ってきてくれたのは彼らで、そのもらった魚に心を救われたのも確かなんです。そういう生産現場を守りたいという、自分のライフワークのようなものが、私のなかにあるんです」(坪内さん)

獲れた魚を船上からリアルタイムで消費者に発信する

萩大島船団丸が漁に出るのは、午後遅く。沖合に出て漁場に着くと、船に灯をともして魚を集めます。そうして日が暮れるのを待ち、夜になると巨大な巻き網を海に投入。網が上がると獲れた魚を写真に撮り、LINEを使ってリアルタイムで情報を発信します。顧客から注文を受けるとすぐに、生きたまま船上で血抜き。帰港してから早朝に箱詰め作業を行い、「鮮魚BOX」として、その朝のうちに出荷されます。

鮮度の高さはもちろん、魚を締めた時間が把握できるので、料理人が最適な調理法を的確に決められる。魚にこだわる料理店などから好評を博して着実に売り上げを伸ばし、当初の任意団体から現在は株式会社GHIBLIとして法人化しました。

大卒のIターン組など地元出身ではない者や、若い船員が多いのも「萩大島船団丸」の特徴です。旧来の漁業にはないやりがいを求めたり、それぞれが夢や目標を持って船に乗っています。

50年先を見据えて、日本の漁業が変わる礎を作る

「私がこの事業に携わり続ける根本にあるのは、日本の浜が元気になったらいいなという思いです。1次産業は経済の基盤なので、その発展、繁栄は大事なこと。仮に日本の食料自給率がゼロになったら、日本食の文化は成立しなくなります。たとえば京料理であれば京野菜を使うなど、日本独特の守らないといけないものって、1次産業に多分にあると思うんです。それを守るためには、だれかが手を差し込んで、メスを入れていかないといけない」(坪内さん)

そんな坪内さんは、萩大島だけにとどまらず、同じような取り組みを全国に広げようと精力的に行動しています。

「萩大島船団丸の取り組みがちゃんと成立して、彼らが『私たちはこの道を10年も進んで、新しい形を作ってきた』と言ってくれたら、『この取り組みは10年先の未来もある』と考える生産者が増えてくると思うんです。萩大島船団丸に関しては私も全面的に関わってきましたが、今後は彼らが鑑(かがみ)になって、いかにいっしょにやりたいと思う人が増えていくかが重要です。
今の私にできるのは、こうして発信してみんなに知ってもらい、やりたいと思っているのに埋もれている人たちを発掘すること。そのなかから手を挙げた人たちとは、一緒に事業に取り組んでいます。現在は高知や福岡などの漁業関係者とともに全力で活動しています。そういった事例をどんどん増やして、頑張っている生産者がここにいますよと行政に伝え、『そこに手を差し伸べられる、正しい補助金の使い方はこうじゃないですか』という橋渡しをしていきたい」(坪内さん)

坪内さんが行動で示してきた新しい道は、海で生きてきた漁師たちの意識を変えました。

「かつては家業を継いで漁師になることが一般的でしたが、これからの漁業はどんぶり勘定の家業じゃなく、企業にならないといけない。ワシらみたいなバカがいないと、日本の漁業は変わらんのです(笑)」(長岡さん)。

坪内さんは閉塞感が漂っていた日本の漁業に風穴を開け、そこから新鮮な風を吹き込もうとしています。彼女の目には今だけではなく、50年後の未来も映っているのです。

「全国の漁業者、農業者もそうですけど、みんな『自分の孫に、おいしい野菜を食べさせたい。美味しい魚を食べさせたい』と言うんですよ。でも孫に食べさせるものは別に育て、市場に卸すものは機械的に生産するのであれば、後者は工業製品や産業品と同じです。

そこに光るものも、ブランド価値もなにもありません。孫に食べさせられるものを、どうお客様に届けるかが大事なんです。携わった者が丁寧に手を掛けた、安全で間違いのないものだから、お客様は価値を見出してお金を出せる。そのことを漁師たちを含め1次産業者が、いかに正しく理解し、価値のあるものを生み出すんだと思って走り続けていけるか。

私たちがやろうとしていることに携わっていただける方たちには、そういう思いを持って今後30年、50年ずっと走ってもらわないといけないと思っていて、今はその礎になるものを作っている段階ですね」(坪内さん)

幾度もの衝突と挑戦を重ねながら、前進していく萩大島船団丸。その取り組みが確立され、全国に広がっていけば、それはきっと日本の漁業に力強い波を起こし、漁業関係者と消費者を大きな○(まる)へとつなぐことになるのではないでしょうか。

※萩大島船団丸の代表就任から現在に至るまでを綴った、坪内知佳さんの著書『荒くれ漁師をたばねる力』(朝日新聞出版/¥1,512)が好評発売中です。

今回訪れた漁港へのアクセス

萩市大島
住所
山口県萩市大島
URL
http://sendanmaru.com/
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