栄養たっぷりの海で養殖が盛んな牡鹿半島 震災から11年の今 栄養たっぷりの海で養殖が盛んな牡鹿半島 震災から11年の今

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宮城県 牡鹿(おしか)半島

更新日:2022/12/08

宮城県の北東部に位置する、牡鹿(おしか)半島。仙台から約50キロの石巻中心部から更に30キロほどの距離にあります。入り組んだ地形のリアス海岸が続く一帯は、東日本大震災後の2013年に創設された「三陸復興国立公園」に含まれています。

牡鹿半島の沖合700メートルに位置するのは、金華山(きんかさん)。金華山沖は世界三大漁場のひとつに数えられ、石巻魚市場は年間200種類以上の海産物が水揚げされる巨大市場です。一方で、牡鹿半島に点在する漁港の多くは、漁よりも養殖がメインです。リアス海岸から森のミネラルを含んだ水が海へと流れ込むことで、海には栄養がたっぷり。餌となる植物性プランクトンが多く発生し、養殖を営むには適した環境です。
東日本大震災から11年の時を経た牡鹿半島の「今を」、銀鮭、ホタテ、ホヤの養殖に関わる3人の漁師さんたちから伺いました。

銀鮭 鈴木保さん 尾浦港

多くの船が行き来する尾浦港

女川漁港にほど近い尾浦港。沖合には出島という離島をのぞむ内湾の港です。
尾浦港で祖父の代から銀鮭養殖を営んでいる、鈴木保さん。
正午過ぎに訪ねると、一仕事終えた様子でした。それもそのはず、訪れた7月上旬は銀鮭出荷の最盛期。午前1時には、沖合の生け簀から銀鮭を水揚げし、朝のセリに間に合うように出荷します。さらに、4つある生け簀への餌やり、養殖の鮭の様子を見て選別する作業など、忙しい時間が続きます。

生け簀を背に笑顔で語る鈴木さん

「水揚げは4月から始めて、生け簀から大きく育った銀鮭だけを網ですくうんですよ。全部人力です。大きい鮭だと4キロはあるから重労働。毎年、水揚げシーズンが終わるころには体重が10キロ近く落ちてます」

鈴木さんの生け簀

銀鮭養殖発祥の地

銀鮭の養殖は宮城県が発祥の地。国内で流通している国産銀鮭はほとんどが養殖モノで、そのうちの90%が宮城県産です。養殖のため、寄生虫の心配もなく「生食」できると言われているのが最大の魅力です。銀鮭のお刺身は、きれいなサーモンピンク。脂のノリも抜群です。甘みがあって、とろけるような舌ざわりが絶品です。

生でも食べられるのが銀鮭の魅力

北海道で親魚から採卵し、宮城や岩手の山林エリアで20センチ程度まで育てた幼魚を購入し、尾浦港沖で大きく育てます。鈴木さんが年間に購入する幼魚の数はおよそ12万匹。手のひらサイズの幼魚が、半年ほどで3キロ、4キロの立派な銀鮭に成長します。

銀鮭の養殖にこのエリアが適していたのは、リアス海岸の海が栄養豊富であること、内湾のため波が少ないこと、そして海水温が銀鮭の成長に適していることなどが挙げられます。とくに銀鮭は海水温に敏感だそうです。

「銀鮭は水温が20度を超すと死んでしまうんです。一瞬で、全滅です。そうなったら大変ですよ。もう7月で水温が上ってくるから早く出荷しなくてはいけません。これも温暖化の影響なんでしょうかね、毎年、養殖期間が短くなってきているんです」

水質を保つために餌を改良

尾浦の海は、波がなく穏やか。沖にある離島の出島が防波堤のように、波や風から守っています。そんな恵まれた地形にも悩みはあります。

「外洋とつながってるところが狭いので、尾浦の海は外洋の海水との入れ替わりが少ないんです。水が一回汚くなると、キレイになるのに時間がかかります。昔は、イワシなど魚を砕いて、そのままあげていたこともあり、餌が海の底に沈殿して、水を汚す原因になっていました。今は、餌を改良して、99%水に浮く餌にしています。その代わり、餌は高いですよ。お米よりも高いです」

震災から10年の節目に生け簀を新調

漁港の片隅に、作りかけの生け簀がありました。
「震災の後から使っている生け簀を取替えるんです。生け簀は10年くらいで交換なので……、ちょうど節目ですね」

港で制作中の鈴木さんの生け簀

東日本大震災発生の瞬間、生け簀で給餌(きゅうじ)していたという鈴木さん。

「イカダの上だと揺れても気づかないこともあるんですが、あの時は水面でバチャバチャと餌を食べていた魚が、一瞬でピュンといなくなったんです。地震だな、と思いました」

港の奥に建つ実家へ戻った鈴木さんとお父さんを津波が襲いました。2階から屋根に逃げましたが、家ごと湾内をぐるぐると流されました。奇跡的に固定されていた漁船に飛び移り、二人とも難を逃れました。

「養殖を再開するのもとても大変でした。設備にもお金がかかるので。でも、銀鮭は稚魚を生け簀に入れて半年でお金になるのが魅力です。また再開することにしました。」

結婚し、家庭を持った鈴木さんは、実家から独立し、自分の漁業権も取得。現在は4つの生け簀で養殖を行っています。

「自分の生け簀だとやりがいもあります。自分でいうのもなんですけど、うちの銀鮭は美味しいですよ」

鈴木さん、仲間の皆さんとまるポーズ!

ホタテ 大坂善治さん 尾浦港

尾浦港でほぼ唯一、津波に流されなかった建物で今もホタテの養殖を続ける、大坂善治さん。ホタテの養殖も、2011年中に再開しました。

大坂さんの作業場 尾浦港で津波で流されなかった数少ない建物のひとつ

「いまさら会社務めも、また船に乗るのも…‥‥。ここに残って養殖を再開したほうがいいな、と思ってね」

優しく語る大坂さん

大坂さんは、東松島の出身。実家は海苔の養殖を営んでいました。巻き網船や商船にのっていた経験も。結婚を機に、この地でホタテの養殖を始めました。大坂さんは、ホタテ養殖は楽しいといいます。

「ホタテは耳吊りから1年で収穫できる。あれこれ工夫した結果がすぐに出るので、やりがいがあります」

職人技!ホタテの耳吊り

ホタテの耳吊りとは、ホタテの稚貝をロープにつなぐ作業のことです。
ホタテの耳に小さな穴をあけ、ロープに留めていきます。耳吊りの時期は、毎年11月から12月。機械での作業とはいえ合計30万枚のホタテを耳吊りするそうです。ものすごい量です。
「2枚1組のホタテを耳吊りするのが約2秒です。慣れですよ」

ホタテの耳吊り作業 ロープをホタテの耳で挟みピン留めしていく

垂下方式で育てる理由

宮城県のホタテ養殖の生産量は全国のおよそ1割程度。それほど多くはありませんが、古くからの歴史があります。北海道などで盛んな養殖法は「地撒き」。海にホタテの稚貝を撒いて、海底で4年ほど成長させて漁獲します。一方、大坂さんが行っているのは「垂下方式」。ホタテの稚貝をロープに耳吊りし、海中に吊るして育てます。

「海底よりも海中のほうがプランクトンが豊富で、栄養が濃いため、成長速度が早いんです。地撒きだと漁獲までに4年かかるところ、垂下方式だと2年足らずで漁獲できます。垂下方式は手間は掛かかりますが、短期間で収益が出るし、栄養をいっぱい食べるのでホタテの質もいいです。この辺でも天然モノがとれますが、中の貝柱が違います。養殖の方が断然身が大きいんですよ」

大きく厚みのあるホタテの貝柱

大坂さんのホタテは、貝柱が大きくてプリップリ。旨味が濃厚とJFみやぎも太鼓判を押す逸品。ホタテの旬は、6月~8月。伺った7月上旬は、まさにホタテの最盛期です。

「水揚げの瞬間が楽しいですね。同じ養殖業者がたくさんいて、同じ海で、同じ栄養を食べさせてる。その中で工夫するんですよ。間引きしたり、潮流や間隔を工夫して漁場を決めていくなど、試行錯誤しています。水揚げして、誰よりも大きいホタテが育っていたら、努力が実ったと思うんです。最高に嬉しい瞬間ですね。」

大坂さんと船上でまるポーズ!

ホヤ 阿部誠二さん 鮫浦漁港

尾浦港からさらに南へ25キロ。鮫浦漁港は東日本大震災により建物のほぼ全てが流出しました。ホヤの養殖を営む阿部誠二さんは当時を振り返ります。

「津波が来ると思ったので、父親と船を沖に出して。大きな船に繋いでもらい、一晩海の上で過ごしました。帰ったら何もない。砂だけ。本当に何もなくて、ただただ愕然としました。

鮫浦漁港で自身の船と映る阿部さん

ボランティアにホヤを振る舞う

堤防や港の施設、家屋などは全て流され、代わりに残された砂は阿部さんの身長以上にまで溜まっていたといいます。ホヤの養殖を再開したのは、2011年末。日本各地から集まるボランティアの方々にホヤを振る舞ったところ、新しい発見もありました。

「みなさん、ホヤはちょっと苦手って言うんです。でも食べてもらうと、美味しい美味しいって食べてくれる。その時、獲れたてで新鮮なホヤなら食べてくれるんだな、と思いました」

ホヤの刺身

国内の消費が増加

知り合いの料理人にホヤを振る舞ったところ、阿部さんのホヤの美味しさを知り、直接小売りして欲しいというオファーも舞い込みましたが、なかなか難しいと話します。

「高級魚と違って、ホヤは単価が低いんです。小売りでは、なかなか元が取れない。通常、ホヤの水揚げは500キロ単位で水揚げするんです。大量に出荷して、やっと利益が生まれるんです。」

悩ましい問題ではありますが、冷凍技術の発達や加工品の開発などでホヤの国内消費は震災前の2倍以上に増加しています。

「目に見えて国内消費が増えているので嬉しいですね。もっとホヤを食べる文化を広めていきたいです」

阿部さんとホヤを入れた水槽

仮設住宅で仲間に出会う

「仮設住宅で、他の浜の漁師と出会いました。それまではお互い浜も離れてるし、接点があまりなかったんです。仮設住宅で毎日のように顔を合わせるようになり『俺らでここを変えていこう!俺らの世代が頑張らないと!』と話していました。」

若い世代の漁師さんたちと意気投合した阿部さんは、それまでに無かった地元谷川支所の青年部を立ち上げました。阿部さんは副部長(現・部長)に就任し、このエリアのまとめ役として自身の漁以外にも大忙しです。また、魚の神経締めなど、さまざまな新しいことにも取り組んでいます。

「宮城の漁業は養殖が中心ですが、もっと海に出る漁をしてもいいと思っています。
SNSを通じて優秀で心意気もある漁師仲間が全国にできました。彼らから様々な漁の仕方も教えてもらえます。個人的には、新しくタチウオ漁も3年前から始めています。もし、震災がなかったら、ここまで活発に動いてなかったはずです。辛いことも多々ありましたが、その意味ではプラスなこともありますね。」

阿部さんとまるポーズ!

東日本大震災から11年。牡鹿半島の漁港には、挑戦し続けることを諦めない、力強い漁師さんの姿がありました。
魚を愛し、漁業を愛し、そして地元を愛している漁師さんが沢山います。
海の豊かさがきっと、人の豊かさも育んでいる、そんなことを感じる牡鹿半島に
ぜひ、皆さんも足を運んでみてはいかがでしょうか?

公式YouTubeでも宮城の魅力を配信中

  • 漁港巡り 宮城県尾浦漁港「極上の銀鮭」篇

  • 漁港巡り 宮城県尾浦漁港「極上ホタテ」篇

  • 漁港巡り 宮城県鮫浦漁港「至高のホヤ」篇

今回訪れた漁港へのアクセス

宮城県牡鹿郡女川町 尾浦漁港
住所
〒986-2202 宮城県牡鹿郡女川町尾浦
URL
https://www.jf-miyagi.com/access.html(宮城県漁業協同組合)
宮城県石巻市 鮫浦漁港
住所
〒986-2403 宮城県石巻市鮫浦
URL
https://www.jf-miyagi.com/access.html(宮城県漁業協同組合)
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